自然なこころで生きる

たわいのない話

高邁な理念と精緻な理論で覆われたもの

黙想会に行く前、マリア様、聖ホセマリア、昨年帰天したドン・ハビエルに剽窃問題解決の執り成しを祈った。

黙想会は、世間を離れて神と向かい合い、自分の心を見つめ、祈りの時間を過ごす。

通常は一日、長い場合は三日、一週間のこともある。

小さな聖堂の一番前の席に座る。その席に座ると3メートルほど前にある聖人の聖遺物と向かい合うことになる。

参加者を祈りに誘うべくK神父は落ち着いた声で講話を始める。

程なくK神父の声は遠くに消え去り、私は祈りではなく件の問題を考え始めた。

正義・公平の理念に反する著作権侵害

著作権侵害を理由とする損害賠償請求及び不当利得返還請求の法律構成の問題点を検討していた。

核心部分はより多くの賠償金を得るための構成だった。

 

より多くの賠償金を得る。

 

私は、正義公平の理念の下、理性的な法律構成によって、自分の金銭欲、名誉心、復讐心、虚栄心、支配欲を実現しようとしているのではないか。

二重の綺麗なベールに覆われたのは邪な欲望と心ではないか。

それらを覆い隠すために高邁な理念と理性的で専門技術的な言葉と論理を用いている。

 

金銭欲、名誉心、復讐心、支配欲を持ちながら虚栄心がそれらを覆い隠そうとしているからこそ「欲深くありたいのだが」「からっきし欲が出ない」と先日の記事に記したのだろう。

相反する邪な思いのため身動きできない「状況なので全くやる気なし」になっていたのだ。

邪な欲望と心の存在を「こころ」は知っていたのだ。

「心を天上に置くにはどうすればいいのだろうか」とはそのような邪な欲望と心を知っている偽善者の哀れな言葉だったのだ。

 

法的責任と道義的責任追及をしない。

再発防止だけを要請し、全て不問に付すことにしよう。

件の問題については今後一切考えない。

そう決めた。

心が軽くなった。

 

ちょうどその時、講話をしているK神父の声が耳に入った。

エス様は「七の七十倍も赦しなさい」とおっしゃいました。また「人を裁くな」ともおっしゃっいました。

信仰は知識ではなく行いですよ。

 

K神父さんにはこの問題について相談していたので、講話の後、法的及び道義的責任追及を一切しない旨伝えた。

私の話を聞くと「きょう、この家に救いが訪れた」とルカ第19章第9節の言葉を引用された。

 

黙想会に行く前、マリア様、聖ホセマリア、ドン・ハビエルに希ったのは邪な欲望の実現だったが、神様は最も善き解決策を教えて下さった。