自然なこころで生きる

たわいのない話

アルボ・ペルト1

アルボ・ペルトはエストニアの作曲家で数多くの正教会典礼曲を作曲している。

彼の名を初めて聞いたのは旧カルメル会の大分修道院の応接室だった。

教えてくれたのは引退し療養中のK神父だった。

K神父は大阪のご出身で大阪教区の人だった。訳あって何年か前に大分教区に移籍されていた。

詩人で画家だった。

そして学者でもあった。ギリシア語に堪能で新プラトン主義について深い学識をお持ちだった。

しかし、何より彼は芸術家で神秘家であった。

鋭い直感をお持ちだった。

柔和な笑顔は嘘を嫌い、世俗的な価値に重きを置いてなかった。

 

(「時の間にー永遠

 聖エディト・シュタインに献げる12の詩」川崎景敏神父より)

 

神父さんと話をするようになったきっかけは受洗後初めての「告解」をしてからだった。

カトリック教会は信者が罪を告解すると司祭は赦しを与えてくれる。

しかし、K神父は私には赦しを与えてくれなかった。

当然だった。

私は、告解室の中で神父さんと罪、悪の実在、神の沈黙を巡って激論を交わした。

その後から神父さんは私に声をかけて下さるようになった。

立派な装丁の詩集と画集を頂くようになった。

 

K神父さんが療養のため引退された後、ヴィクトール・フランクルの実存分析心理学のお話を伺うためご機嫌伺いを兼ね旧修道院を訪ねた。

私の訪問を大変喜んでくださった。

早速、実存分析心理学について伺うと、ほとんど興味を示さず、ご自分の来し方を話し始められた。

物心のつき始めた頃に始まり、学校のこと、戦時中に潜水艦勤務を命じられたこと、就職して婚約したこと、洗礼を受け婚約を解消したこと、ご家族のこと、仕事を辞め司祭の道を歩み始めたことなどを3時間近くお話しされた。

その中には決して他人に話してはならない事柄も含まれていた。

 

もはや人生は振り返るしかないようだった。

神父さんの時の流れは次第に速度を落とし止まろうとしていた。

私は、黙って耳を傾けるしかなかった。

 

 

お疲れになったご様子で、「あなたの話を何も聞かず申し訳ないが、今日はこれで終わりにしてください。」とおっしゃった。

最後にメモ紙に何か記され、「これを聞いて聴いてみてください。とても優れた作曲家です。」と言ってメモ紙を渡された。

そこには、アルボ・ペルト、エストニア、ベルリンミサ曲と記されていた。

 

帰宅して、妻に「K神父さんは長くないだろう。半年持つかどうかと思う。」と話した。

一月後、微笑むような寝顔でK神父さんは帰天された。

 

 

 

 

 (「時の間にー永遠

 聖エディト・シュタインに献げる12の詩」川崎景敏神父より)

 

アルボ・ペルトの曲は後日紹介します。