自然なこころで生きる

たわいのない話

白い人

キリストは、2000年前、すべての人の罪を贖うため何の罪も犯していないのに十字架につけられて死んだ。

十字架上で腰に白い布だけを着け群衆から嘲られ辱められている姿は絵画の題材として度々取り上げられている。

私にとってキリストとはその姿の人である。

 

私が子供の頃は子供たちは小学6年生から1年生まで学年を超えて一緒に遊んでいた。

小学4年生の夏休み、私は近所の子供達といつものように学校が立ち入り禁止にした川に遊びに行った。

5年生から1年生までの一団だった。男の子にとって危険な場所は魅力に溢れて学校の禁止は意に介さなかった。

一番の難所である川の淵の岩を年長者から順番に飛び越えて行った。最後から二番目が私だった。私が飛び越えた後1年生のM君も続いた。

M君は岩から足を滑らして川の淵に落ちた。

私の顔を見ながら平泳ぎのように二、三度手で水を掻いた。

すぐに淵に沈んで行った。

水紋の真ん中に彼がさっきまで被っていた青い帽子が浮いていた。

みんな怖くて飛び込めなかった。呆然としていた。

 

警察や消防が船を出し、潜水具を着けた人たちが次々に川に飛び込んで捜索した。

私たちは川の堤防の上で人目を憚り捜索を見つめていた。

船の上にパンツ一枚だけの長身の大人が何度も川に飛び込み捜索していた。

警察や消防の人たちは皆制服を着るか潜水具を着けていたので、腰に白い布を身につけただけでほとんど裸形に近いその人の姿は異様で目立った。

堤防で捜索を見守っていた群衆の目はその白い人に注がれていた。

その白い人は群衆から嘲られ辱められているようだった。

人々は白い人を指差し一緒に遊んでいた子供の父親だと言っていた。

白い人は私の父だった。

父はM君と彼の両親に私の罪を贖うため人々から辱められていたように思えた。

堤防の上で、M君を死に追いやった自分の軽はずみな冒険心を心から悔いた。

父に申し訳なく思った。

 

捜索から帰宅した父のもとに駆け寄ると父は「大丈夫か?お前は何も心配するな。」と言って肩を抱いてくれた。

その夜、M君と会った夢を見た。「生きていたの?」と尋ねるとM君は「うん」と答えた。

 

子供が生まれて小学2年生になるまで私は怖かった。

息子も小学1年生でこの世から取り去られるのではないかと怖れていた。

それが私の罪に対する罰だと思っていた。

息子が小学2年生になった時初めて妻にあの夏の日のことを話した。

 

その後キリストを知るようになって、神の存在について考えるようになった。

果たして神を見ることができるのか、キリストを見ることができるのかと思い悩んだこともあった。

しかし、あの日私は、私の罪を贖うため人々から辱められた白い人に会っていた。

ようやくあの時の白い人はキリストだったと気付いた。