読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自然なこころで生きる

たわいのない話

方言

喘息になったのは四年前の雪の降る日に薄着で京都の街を歩いて風邪をひいてからだ。

二泊三日の大阪旅行に夫婦で行き、一日だけ楽美術館に行くために一人で京都に行った日だ。

大阪に行くのは何年振りだっただろう。

最近は東京ばかりで大阪に行くことはなかった。

淀屋橋に本店のある生命保険会社でサラリーマンをしていたので大阪は私にとって懐かしい街だ。

久し振りに梅田を歩くと懐かしかった。もちろん私がいた頃とはずいぶん様変わりしていたがそれでも見覚えのある店は残っている。

大阪勤務になって間もない頃、同僚の女性から大分に方言はないんですかと聞かれた。

ないと答えたら私と同郷の男性と付き合っていた別の同僚の女性がそんなことはない、めっちゃ方言がありますよと正しい反論をした。

 

三月の終わりに中途退職する私のために課で送別会が開かれることになった。

課は総勢70名を超えていた。

私の当たり障りのない、ややカッコつけた挨拶が終わろうとしていた時、突然壇上に隣の課の課長代理が登ってこられた。

課長代理は私が属したシステム開発プロジョクトチームの柱の一人だった。

私が中途退職するに際して何人もの上司から引き止められた。

その中で、君が退職すればシステム開発全体の進捗が遅れるから考え直してくれと言われた。

これは堪えた。システム開発はたいへん面白かったし、将来私が課の運営を担って行くことになっていたから責任を感じていた。

私は彼から罵倒されると思った。

そもそもなぜ所属の異なる彼が私の課の送別会にいるのか状況が理解できなかった。

おそらく私は壇上ですくんでいたと思う。

 

課長代理は、私の送別会があると聞いて会場の隣で飲んでいたらしい。

私からマイクを奪うと課長代理は「俺はこいつに幸せになってもらいたいんや、みんなもそうとちがうか。こいつは新しい道を歩むんや、夢を叶えてもらいたいんや。」と言った。

あとはよく覚えていない。

私は壇上で泣き出したからだ。

 

翌日、壇上から自席に戻ったあと私は泣きながら「課長代理があんな言葉をかけてくださったので泣いてしまってカッコつけた挨拶ができなかった」などを方言で言っていたことを同僚の女性から聞いた。

その女性から「方言で話しているのを初めて見ました。可愛かったですよ。」と言われた。

良い人に恵まれ、大阪は私にとって大切な土地となった。