自然なこころで生きる

たわいのない話

茶碗が象徴するもの

抹茶茶碗を鑑賞するときは、真横から観る。

高台から縁にかけて立ち上がる側面の曲線を観る。

微妙な曲線を描いているか、膨らみ具合はどうか、外側に開いた曲線が縁に至る直前再び収束するかなどだ。

つまり括れ。

側面が直線であるとシャープであるけれど貧相な感じがする。

磁器の茶碗にはそういったものが多い。

この真横から観た曲線は何かに似ている。

女性の臀部だ。

ある高名な陶芸家親子の茶碗は側面の曲線にそれぞれ特徴があるそうだ。

「先代の作る茶碗の曲線は歳を取った女性の臀部の曲線で少し垂れ気味であるが、私のは若い女性のそれだ」と日本で一二を争うほどの技術を持つ息子氏が教えてくれた。

作り手が見ている女性によって曲線が異なるのか。

女性の臀部は生命の象徴である。

陶芸家は知らず知らずのうちに生命の象徴を創作しているのだろう。

もう一つ生命の象徴がある。

乳房だ。

茶碗を裏返して斜め上から観ると乳房に見える角度がある。

これが磁器のようにシンメトリーであるとどの角度でも乳房に見えない。

側面が直線だと単なる円錐形だ。

人間の身体は微妙な曲線を描いている。

助平親父の変態的鑑賞と思わないではないが、良い茶碗とは女性の身体の象徴であるように思える。

 

もう一つ助平親父の鑑賞話。

茶道の茶碗として最も優れたものが井戸茶碗である。

井戸茶碗にも種類がありそれぞれ名品がある。

一番大きいのが大井戸茶碗である。

大徳寺の喜左衛門が一番の名品といわれている。

写真では枇杷色をしているように見えるが、実物はもっと白いらしい。白い肌色とでも言うべきか。

実は先ほどの茶碗の特徴は大井戸茶碗にこそ最も当てはまる。

茶室の中でこれを用いてお茶を点てる。

薄暗い中に井戸茶碗の白い肌色が浮かび上がる。

その中に抹茶の緑色が鮮やかに円を描く。

茶人たちのおそるべき色彩感覚に脱帽する。

しかもなんと艶かしいのだろう。

 

ここまで述べれば写真は茶碗になるがそれはいつかということで

明るい陽の光に照らされた健康的な白、黄、緑、影の黒。