自然なこころで生きる

たわいのない話

急がなければ

マーク・ロスコの最晩年の作品を見る。

1969年から1970年の作品。

彼の作品について深い知識を有していないし、実物を見たこともないのでこれから述べることが正しいのか分からない。

言うまでもなく私が経験した私自身の精神世界に照らし合わせた見方でしかない。

したがって見当外れかもしれない。

 

1969年と1970年の作品はそれ以前の作品と決定的に異なるものがあるように思える。

彼の作品を特徴づけるのはカンヴァスに載せた紙の上に二つ若しくは三つの長方形が上下または左右に描かれている点にある。

これらの長方形の外郭は直線で切り取られることはなく下地と微妙に混ざり合う。

したがって二つあるいは三つの長方形は別々でありながら完全に切り離されているように感じない。

下地を介して交流しているようだ。

上下に三つの長方形が描かれた作品では、真ん中の細長い長方形が上下の長方形を分離しながらも統合させる役割があるように思える。

この長方形は何なのか。それが二つあるいは三つあるのは何故なのか。

 

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これらは意識と無意識、あるいは身体と精神ではないだろうか。

三つある場合は、真ん中の長方形は魂若しくは生命そのもののように見える。

意識と無意識、身体と精神は、言葉の概念としては明確に区別されるが、実は分けられるようで分けられない、境界があるようでない。

これは西洋がどちらかというと否定してきた考え方、人間観である。

西洋は意識若しくは理性が人間たらしめ、身体はそれに従属・服従されるべきものとして精神と身体を分けて考えてきたように思う。

さらに西洋はフロイドが出現するまで、無意識を知らなかった。

マーク・ロスコの絵はそうではないものを見せてくれているように思える。

彼の絵を見る者は、意識と理性的な精神に偏った姿ではない真の自分を観るのでないだろうか。

だから多くの人が彼の絵を観ようとするのではないだろうか。

このことは、カンヴァスいっぱいにただ一つの長方形しか描かれていない場合でも同じように思える。

この場合は、意識と無意識、身体と精神が文字通り渾然一体となって描かれている。

色についても同じだ。

それぞれの長方形の色は異なるが、単色であっても深い濃淡がある。

濃淡は様々なものを含み表している。

 

ところが最晩年、1969年から1970年の作品はこれらと大きく異なる。

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 これは、最晩年、1969年から1970年にかけて制作された作品。

画像が小さくてわかりにくいが、下部の灰色と上部の黒色は明確に直線で分かたれている。

かつてのように上下はぼかされた線で下地を通じて交流し合うことはない。

このようになったのは1969年からと思う。

私が所有する1冊しかない彼の画集を見ても1968年と1969年の作品はこの点で見分けがつく。

この絵の上下を分かつ直線の下部は最も明るい灰色で描かれている。

まるで上部の黒色に抗うかのように。

この直線は境界線ではないか。

しかし、弱く脆い境界。

これを制作していた頃、彼の精神世界は分裂していたように感じる。

おそらく下部の灰色は彼の理性的な精神・意識なのであろう。

しかし、その精神は曖昧で中心を欠き散逸しようとしている。

では上部の黒色は何なのか。

上にあるが意識や理性では制御できない無意識なのかもしれない。

もしかしたら、抗うつ剤が生み出した得体の知れない意識なのかもしれない。

彼はそれに押し潰されようとしている。

かろうじて持ちこたえようとしている。

ろうそくの炎が最後に燃え尽きる時一瞬まばゆく光るように最後の力を振り絞り、持ちこたえるにはあまりに細い直線で境界付けようとしている。

明るい灰色で支えられた直線はそのことを表わしているように思える。

 

この絵を見て寝床に就くと「急がなければ」と言う声が聴こえた。

どこから聴こえてくる声なのか。

どこに行けばいいのか。

どこへ急き立てられているのか。

 

呼んでいるのはおそらく「死」。

あの黒色は「死」なのだろう。

やがて死が彼の精神と肉体を押しつぶすのだろう。

心臓の鼓動が早まった。

恐怖を覚えた。

 見てはならないものを見たように思えた。