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自然なこころで生きる

たわいのない話

理由を伝えなければ

理由を述べずに当ブログの更新と更新を停止したところ、心配した大学時代の友人がわざわざ拙宅を訪ねてくれた。

なるほど、独白であっても読んでくださる方がいて、しかもその内容が心に関することであるならば、急に扉を閉めるのはよろしくない。

 

このブログのタイトルは「自然なこころで生きるために」であったが、主語は「皆さんが」のつもりであった。ところが実は主語は「私が」であった。

このブログを綴ることにより不自然で肩に力の入った生き方から自然な生き方ができるようになった。その過程を当ブログで記したが、それはカウンセリングそのものだったではないか。通常と異なるのはカウンセラーとクライアントが同一人物であることだけだった。

ブログの目的を達した以上更新や公開の必要はないと思いそれらを停止した。

これがブログの更新と公開を停止した理由である。

もう一つ理由があった。

カウンセリング自体が不要ではないかと思ったからだ。

自然なこころで生きることができるようになる過程で苦しみを受け止め生きることこそが一番重要なことであると気付いた。いや苦しみから「逃れる」唯一の道であると思った。

私たちはどうやら心身とも健康に恵まれ朗らかで豊かな人生を送ることを目的に生きるべきと刷り込まれているように思う。

そんな人生はどこにもないし、あったとしても薄っぺらで人生と呼ぶにはあまりにも不釣り合いなように思う。

与えられた条件の中で喜びと悲しみ、朗らかさと悩み、豊かさと貧しさ、慈しみと憎しみで物語を織っているのではないだろうか。

その物語の織り手は私たち自身でなければならない。私たちが失敗しながら自らが主体となって織るとき人生は物語となって現れてくるように思う。

家族とともに苦しみ悩み生きることが人生そのものなのではないだろうか。

カウンセリングに頼るのは安易とは言えないだろうが、少し違うように思える。

あくまでも、他人はアドヴァイスしかできないのではないだろうか。

先日も子供、と言っても青年であるがその青年が刑法犯になる行為をしたことで親御さんから相談があった。半年前ならクライアントとして受け入れたであろうが、メールでアドヴァイスだけした。長い時間がかかること、その青年が家族の中で果たした役割を心に留めてほしいこと、家族の再生の物語であること、家族しか解決できないし家族なら解決できることを伝えた。

カウンセリングから離れたため、ブログタイトルを「自然に生きる」に変更した。

 

以上が更新・公開の停止に至る理由です。固い言葉の羅列で申し訳ありません。

そして今日この記事をエントリーしたもう一つの理由。

コメントをくださった方にTwitterで以上のことをお伝えしようと思いフォロワーになりましたが、どうもTwitterよりもブログの方がふさわしいように思ったからでした。

前回のエントリーでも述べましたが、心から感謝しております。

お二人の夢の実現とお二人がこれからも素晴らしい物語を紡いでいくことを心からお祈りします。

このブログは今後、気楽なテーマでエントリーしていこうかなと思っています。

そうなりましたら、気が向いたときにでもお立ち寄りください。