自然なこころで生きる

たわいのない話

習い始め(再エントリー)

1月19日のエントリーを誤って削除してしまったので再エントリーする。

ついては少し内容も変更しよう。

2014年の晩秋にニコンのD7100という一眼レフカメラを購入した。

早速撮影したものの一部が次の写真。

 

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写真は3次元の物を2次元に移すのであるが、どれだけ2次元においても3次元性を失わないかがポイントである。

つまり平面でどれだけ立体感をだすかが腕の見せ所なのだ。

しかし、この頃私は3次元の物を2次元化し、それを写真によって固定化することに興味があった。

自然を絵画 しかも抽象画と捉えてカメラで写そうとしていた。

自然をあるがままの物ではなく色と形に分解しようとした。

立体感を極力排除し平面に徹しようとしていたわけだ。

最初の写真は四つの色と四角形・三角形の組合せ。もちろん主題は緑。

次の写真は黄色と黒、三角形と四角形の組合せ。主題は黄色。

 

ところが次の一枚はそれとは違う。

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これは琳派だ。

しかし、これも平面的だ。

3枚ともピントは合っていないし、露出とWBはいい加減でとても人様にお見せする写真ではないが私のお気に入りだった。

特に3枚目の写真がしばらく最も好きだった。

最近は技術のあまりの拙さに見るのが辛くなるのでお蔵入りである。

それにしてもみんな暗い。 暗鬱というのが適切かもしれない。

これらに見られる分解と平面化は、要素分解的で原因と結果で物事や人を見ようとしていたことと関係しているように思える。

だから人に対する見方が変わった今では見るのが辛いのだと思う。

技術の問題ではなかったのだ。