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自然なこころで生きる

たわいのない話

物語を紡ぐ

私たち夫婦、家族を長い間悩ませていたことがあった。息子のことだった。

親ばかだと承知しているが、息子は優秀な子供だった。スポーツは私に似て大したことはなかったが、知的な能力、美術と音楽の才能に恵まれていた。担任だった先生が間違いなくトップの大学に進学するだろうと話していたと人づてに聞いたこともあったし、私たちもそう確信していた。

ところが彼は高校三年に不登校になり、大学進学で考えられないほどの挫折をした。普通の学力であってもそのような失敗はしないような挫折だった。

それは私たち夫婦を失望させ悩みの種となった。妻はその結果を見て「神も仏もない」と言うようになった。それは十年以上続く悩みの出発点だった。

不本意ながら合格した大学に進学したがそこでも上手くいかなかった。なにより彼が何をしたいのかさっぱり分からなかった。すべてどこか中途半端だった。彼は十代から二十代にかけ暗黒の中を孤独で過ごした。ただ一人母だけが話し相手で彼の味方だった。

母が弱ってくるのに反比例して彼は積極的になり、一年前のちょうど今頃突然自分の進むべき道を私たちに告げた。それは私も妻も心から納得する道であった。最初からその道に進むべきなのになぜ気付かなかったのか私たちは全員不思議に思った。そして家を出ていった。30歳を過ぎて二度目の大学生活を送ることになった。何故か母の死を確信して出ていったように思えた。

 

彼は私が母から悩まされなくなるのを見届けて本当にやりたいこと自分が進むべき道を歩み始めたのだ。彼が大学進学を含め自分の進路について不可解な失敗や彷徨を繰り返していたのは自分が進みたい道を歩み始めれば私を守り家族を支えることができないからだったのだ。あの失敗と彷徨は自らの将来を犠牲にして私を守り家族を守るためだったのだ。もちろん彼はそのことを意識していなかった。しかし、私たち4人家族を支えていたのは彼だったのだ。

18歳の若者に交じって奇異な目で見られながら大学生活を送る息子は、何にも増して家族が一番大切だと言ったことがあった。息子の不可解な失敗と彷徨、母の死と息子の旅立ち、これらは私たち四人家族の物語のひとコマであった。私たちは四人で一つの物語を紡いできたのだ。それは私たち家族だけにしか創れない物語だった。

人間は家族で固有な物語を紡いで生きていくのだろう。夫婦であれ親子であれ家族の物語を紡いでいくのが人間なのだ。それが生きるということの意味だと思う。

これまで母のことを諸悪の根源のように述べてきたが、私は母が悪いとは思ったことは一度もない。変えようがないものを責めるのは間違いだし、そもそも人間関係で生じる諸々の事柄に原因となる悪者はいないと思うからだ。犯人はいない。全てそうならざるを得ないのだ。

間違いなく私は母から愛された。仮にそれが自己愛だったにせよ、そうでしか母は愛せなかったのであり、その意味で母の私に対する愛は真実であった。

母と私は懸命に生きて来た。私が幼い頃我が家は貧しかった。幼稚園に上がる前、当時保険のセールスをしていた母は私の手を引いて朝一番の鈍行列車に乗り遠くの顧客の所を訪ねていた。父は優しく知的であったが無責任で不誠実だった。しかし、父もそうならざるを得なかったのだ。生活の苦労は母が一人で担っていた。贅沢は許されなかったが私に惨めな思いをさせないようしてくれた。生前母は私に、二人で苦労して一生懸命生きて来たとよく言っていた。私と母は二人で懸命に私たち家族の物語を紡いできたのだ。二人だけの物語を紡ぐため私は母の息子として生まれたのだ。母と私の物語、私と妻と息子と母の物語、それを紡いできたことが私の人生なのだ。

出勤するとき私に微笑みながら手を振る母を今も思い出す。優しく慈しみに満ちた笑顔だった。

私は母が好きだった。

 

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 今回のエントリーで私のself-insightは終わりました。

このような長文を我慢してお読み頂いた皆さんに心から感謝申し上げます。皆様が自然なこころで生きていけますよう願っています。また、ご自分のご家族と良き物語を紡いでいくことを心から願っております。そのために拙文がお役に立てれば幸甚です。

最後になりますが皆様の上に神様の豊かなお恵みがありますようお祈りします。

感謝のうちに。

(1月16日に一部削除しました)