自然なこころで生きる

たわいのない話

葉っぱの撮影はもういいかな

別府市にある志高湖は毎年撮影に行く。

重い一眼レフを持ち歩くに耐えられない暑さもどうにか過ぎ去ったようなので志高湖に向かった。

 

湖畔を重い機材を持って歩いていると汗をかいてきた。

気温は30度近いのではないだろうか。

些か後悔する。もっと涼しくなってくれば良かった。

ふと森に目を転ずると木立の中に光が差している。

 

辺りを見回すと緑の葉っぱに光が差している。

 

さらに見てみると

なんだかこれで満足してしまった。

 

 

今度は別の箇所で撮影。

これは三脚を立て撮影した。

今回の目的は三脚で撮影することだった。

自宅でこの写真を拡大するとブレがない。くっきり写っていた。

ボケた感じの写真はカメラがぶれてピントが怪しくなっていたのだ。

 

撮影後しばらくすると、このような写真はもういいかなと思うようになった。

そろそろ別な被写体、人物を撮りたくなった。

志高湖の撮影を終え駐車場に戻ろうと歩いていたら、若い女の子二人がいた。

彼女らを撮影したくなった。

声をかけたら変質者と思われるかもしれないのでさすがにそれは止したが、少し残念な気がした。

今度は女性のポートレイト撮影にチャレンジしようかしら。

問題はモデルがいるか。

難しい。

それに綺麗に撮ろうとするとライティングなど勉強しなければならない。

大変だ。

 

女性の代わりに白鳥にしようか。

 

さてどうなりますか

仕事の下調べのついでに由布院で読書会の打ち合わせをした。

雨月物語巻五「青頭巾」を取り上げて10月に開催することに決定した。

参加者は世話人の他にごく少人数を予定している。

この本を窓にして参加者が自らの心の奥に光をあてる、すなわち「深層意識」まで到達できればと思う。

さてどうなりますか。

 

打ち合わせの中で世話人のMさんと食の安全、食の流通、仕事のあり方などについて話をした。多くの共通認識があることを知り嬉しく思った。

様々な人がそれぞれの能力に応じて互いに協力し合い食に関わる仕事ができないかずっと考えてきた。

もしかしたらMさんとの出会いはそのための大切なきっかけとなるかもしれない。

これもさてどうなりますか。

 

 

阿蘇ー草千里

熊本からの帰り、陽が沈むまで時間があったので阿蘇山の草千里に寄り道した。

 

途中にある米塚

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前日の台風による降雨で二つ池ができていた。

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二つの池の真ん中にある丘に登ろう。

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丘の上から中岳の噴煙を撮影。

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熊本までドライブ

昼前に熊本に着いた。

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熊本城を望み、熊本ラーメンを食べに行く。

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行ったのはラーメン赤組。

熊本ラーメンが480円。

安い。

しっかり化学調味料の白い粉を入れたのを見た。

しかし、いや、その為なのか美味しい。

化学調味料で体調を壊すかもしれないと心配したがほとんど問題なし。

店を出て上通り商店街を歩く

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路面電車の軌道がおしゃれ。

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これを渡り下通り商店街を歩く。f:id:satoufayukio:20170918212953j:image

脇道

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続いて熊本城

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1日も早い復興を願わずにはいられない。

 

サルべ・レジーナ

サルベ・レジーナはカトリックの聖歌である。

 


Salve Regina chanted, beautiful

 

元后あわれみの母
われらのいのち、喜び、希望。

旅路からあなたに叫ぶエバの子。
嘆きながら泣きながらも涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方。
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエス
旅路の果てに示してください。

おお、いつくしみ、
恵みあふれる
喜びのおとめマリア。 

 

正教会に属するアルヴォ・ペルトのサルベ・レジーナは聖歌でありながらそれだけにとどまらない何かがあるように感じられる。

それは、この動画が影響しているのかもしれない。

 


Arvo Part - Salve Regina (Full)

 

www7.plala.or.jp

 

この映画を編集して動画を制作した人は主人公を一人の女の子に設定している。

しかし、ペルトのサルベ・レジーナの曲をかぶせると、動画はこの女の子の物語を超え私たち一人一人の物語のように現れてくる。

普遍的な私たちの「生」として現れてくる。

森の中で大切なものを埋めるシーン、暗鬱な空の下に漠として広がる大地、上土が剥がれた壁に囲まれた古い家と母親の姦淫、酒に酔い一時の享楽に耽る人々、内側から窓を閉ざしていくアルコール中毒の医師、壁だけを残す廃墟で死んだ猫を抱きながら眠る女の子。

これらは、期せずしてなのかどうか分からないが、私たちの孤独な「生」を映像化しているように感じる。

それゆえ、私たちはこう祈るのかもしれない。

 

あわれみ溢れる元后マリア、あなたこそわれらのいのち、喜び、希望、われらの母。
われらは旅路からあなたに叫ぶエバの子。
嘆きながら泣きながらも涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方。
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエス
旅路の果てに示してください。
いつくしみ、
恵みあふれる
喜びのおとめマリア。

 

 

Da Pacem Domine

連休は台風が直撃しそうなので息子の運転で行く家族三人の旅行がご破算になった。

フェリーで四国に渡り松山市に宿泊予定だった。

初めて松山市を訪れるので楽しみにしていたのだが残念。

 

昨年も9月の連休に息子と二人で東京旅行に行った。

東京には彼が二十代を過ごした大切な街がある。

その街を訪ねた。

ホテルに戻ると「もうあの街はいいかな」と言った。

 

彼が中学1年の頃から昨年までほとんど話をしたことがなかった。

昨年からまるでそれまでの10何年間の空白を取り戻すかのように彼の方から話をするようになった。

近況報告を兼ねた長電話が月に二、三度ある。

帰省した際は彼の運転で家族三人でドライブに行く。

妻が同行できないときは私と二人、男同士でドライブに行く。

男二人で何が楽しいんだろうかと訝しく思ってしまう。

 

五月に京都から妻の同級生が我が家に泊まりに来た。

彼女と妻は同じゼミで、彼女の配偶者のM君は私と同じ学部で四人とも同い年。

彼は転勤族で新婚時代は大分に勤務していた。ラグビー部出身のスポーツマンで器が大きくて優しい。今は社長をしている。

彼の長男は息子より一歳年上で妻と彼女は子供を連れて度々一緒に遊んでいた。

お父さんに似て目がくりっとした可愛い男の子だった。

 

両親とも真面目で温和だがM君の長男は息子と同じように学校からドロップアウトした。

不良に一歩手前だったそうだ。

申し訳ないがM君の長男が先にドロップアウトしたお陰で私も少し救われた。

息子が不登校になり引きこもっていた当時の職場までの通勤路に予備校と学習塾が並んでいた。

夜の10時頃、仕事を終え帰宅していると予備校や学習塾から高校生たちが出てくる。

彼らの疲れた顔の中には大学進学から就職に至る階梯を登る希望が見えるような気がした。

その光景を見るのは辛かった。

恥ずかしい話だが、何の罪もない彼らに対してどす黒い感情が湧いていた。

息子だけが受験から除外され将来に何の希望も見出せないでいる。

孤立感を味わっていた。

そんなとき、M君の長男の話を思い出した。

うちの子だけではないと、少しだけ救われた。

 

妻の友人が宿泊した夜、突然息子が帰省してきた。

翌朝、息子と台所で話をしていると、彼女が部屋に入って来た。

夫婦二人暮らしの台所から楽しそうな男同士の話し声が聞こえたので不審に思い入ったらしい。

父子が友人同士のように自然に話しているのを聞いて驚いたそうだ。

後で「よかったね。」と言ってくれた。

Da Pacem Domine . 主よ平和をお与えください。 

 

 


Arvo Pärt - Da Pacem [Estonian Philharmonic Chamber Choir/Paul Hillier] (2006)