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自然なこころで生きる

たわいのない話

友よ、再び歩き出そう。

新しい道を歩いて行く。

まだ日暮れまで少しだけ時間がある。

 

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これから、新しい仕事に多くの時間を当てなければならないため記事の更新は儘ならないと思います。

時間が出来たなら更新したいと思います。

 

 

 

久しぶりの高原

夕方、急いで高原に行き久しぶりに写真撮影。

 

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以前撮影した時は寒かった。

 

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 全て、長者原にて撮影。

驚く

アリさんのブログで紹介されていたレキシの動画を視聴したら、これが見事にはまってしまった。学生に教えたら彼らもはまってしまったようだ。

raintree0106.hatenablog.com

 

 


レキシ - SHIKIBU feat. 阿波の踊り子(チャットモンチー) Music Video +「Takeda' 2」 Rec映像

 

レキシのSIKIBUのカバーをしていたグースハウスを視聴することになった。


SHIKIBU feat 阿波の踊り子"チャットモンチー"/レキシ(COVER)

 

その次に、レキシのSHIKIBUの歌い出しを担当しているチャットモンチーを視聴した。


チャットモンチー 『Last Love Letter』(Live「求愛ツアー♡2015」@Zepp Tokyo)

驚いたのがこのベース。

日本の音楽レベルはもしかしたら世界一かもしれない。

 

 

 

花入を見ながら滝の音を聞く

陶磁器に初めて興味を持ったのはいつだったのだろう。

大学時代は度々陶磁器屋に足を運んでいた。

本格的にのめり込んだのは10年前だった。

最初は磁器、やがて定石通り陶器に興味が移って行った。

いずれも作家物だった。

磁器は形と色が綺麗で洗練されていて好みだった。

しかし、果たして価格相応なのか疑問に思うようになった。

破綻のない形と色なら機械で作ればいい。

何もわざわざ人の手による必要はない。

人の手よりも機械の方がより綺麗な形と色を作ることができる。

それに圧倒的に低価格になる。

磁器に興味を失った。

しかし、川瀬忍の初期の作品は今でも素晴らしいと思う。

 

川瀬忍の世界

 

陶器は唐津焼にずいぶんのめり込んだ。

陶器の良さは人の手でしかできない形と色にあるように思う。

陶器に興味を持つようになったものの荒々しい作品は好きになれなかった。

どちらかというと磁器に近い陶器というべきものが好みだった。

 

実を言うと、陶磁器は果たして道具なのか芸術作品なのかよく分からなかった。

道具なら高価すぎるものがあるし、かといって芸術作品と見るならば偶然性が強すぎる。

茶陶であるならば道具が高価であっても問題がない。おそらく。

そうでない場合はなんとも中途半端な感じがしていた。

芸術作品と呼べない単なる道具に何万、何十万の金を払うのは、どうにも理解できない。

 

ところが昨年、湯布院で唐津焼の陶芸家が穴窯で作った作品を見て少し変わった。

人によって作られた自然があった。道具という形をした自然だった。

これは穴窯でしかできないものなのだろう。

穴窯で一週間近く焼き続ける。

薪の赤松は何トンもいるだろうし、それを焚き続けるとどれだけ体力を奪われるかを考えればそれなりのお金をもらわなければやっていけないだろう。

 

先日、穴窯で焼いた信楽焼の花入を手に入れた。

流れ落ちる滝が見えるようだ。

無論、興味のない人には何をくだらない妄想をと言われそうだが。

暖炉の前ではなく、和室に置くのが、やはり相応しい。

花入を見ながら滝の音を聞く。

それが夏であればまた良い。

客と共に涼しさを感じることが出来るかもしれない。

 

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トリミングしているので画質が悪い。 

 

 

「川」

先日購入した山本昌男氏の二冊の写真集が昨夜届いた。

最初、書店で見たときは墨絵と思った。

いや違う、白黒の写真だった。

しかし、昨夜じっくり見ると頭部が赤い色の丹頂鶴が何羽かいる。

微かな赤の色。

一体どうしたらこのような写真を撮影できるのか。

これは誰にでも撮れるものではない。

スマホの出現によって写真は誰でも撮れるようになった。

デジカメは撮影枚数を気にすることなく撮影できることから撮影時間に余裕のあるアマチュア写真家をしてプロを凌ぐ写真を撮影することを可能にした。

プロのフォトグラファー受難の時代に入った。

しかし、山本昌男氏など一部のプロの写真家の作品は全く次元を異にする。

もちろん撮影にあたって膨大な時間と労力をかけ、さらにそれを加工する。

加工は写真編集ソフトによるデジタル加工に加え独自の加工を施している。

その独自の加工こそが彼の独自の技法なのであろう。

写真でありながら写真とは見えないものを作り出す。

あるいは、絵画のようでありながら絵画ではないものを創造する。

 

写真集を眺めていた妻が「悲しみがある。」と呟いた。

 

 

 

 

 

 

目立たずに開く

夜の銀座を歩く。

木を見上げると花が咲いている。

静かに語り合っているようだ。

 

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ビルの上に小さな月。

 

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人工の光が木の葉を焦がす。

 スマホは優秀なカメラだ。

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昼食はデパ地下の狭い店。 

当然ながらゆったりと食事を楽しむ店ではない。皆さんさっと注文してちゃっちゃと食べ終える。

隣の席の中年の綺麗なご婦人が何やら難しい注文をしていた。

お店の人も困っていた。

ご婦人は少しイライラし始めた。

何度かちぐはぐなやり取りがあり、ようやく注文に至った。

ご婦人の顔と声が友人の奧さんに似ていた。

奧さんの散財が原因で友人は離婚した。

友人はかなりの資産家だが中古車を長く乗り続けるような質素な生活を好んでいた。

控え目で優しい。

離婚して皆んな良かったと言った。

隣席のご婦人を見ると不思議な箸の握り方をしている。

息子さんはそうではない。

ご婦人は立派な躾をなさったのだ。

 

 

Facebook友だちにお会いする

Facebook友だちである写真家のFさんの個展会場に顔を出す。

たまに互いの写真にイイねをするくらいで、ネット上で存じ上げているだけだ。

彼は一種のポートレートを主に撮影されているので、花などの自然を主に撮影している私とはジャンルを異にする。

会場に入って「Fさんですか?」とお尋ねすると、「こうせいさんですね。」と言われたのには驚いた。  

彼のFacebook友だちは約5000人、日本人は少数派とはいえ500人もいる。にもかかわらず私の顔をみて淀みなく名前がでたのは何故なんだろう。

約一時間、彼は私に写真の技術論ではなく撮影の準備や撮影現場のことなどを教えてくれた。そこに友情のようなものを感じた。

 

彼は有名な写真家ではなく暮らし振りも決して豊かではなさそうだった。

深いところから湧き出てくる自分を写真を通して表現しようと格闘しているように感じた。

彼の友情に応える術は彼の写真集を購入することだけだった。

会場を後にし銀座に向かう地下鉄の中で早速彼からお礼のメッセージが届いた。

 

銀座に着くと先日オープンしたばかりのギンザシックスに向かう長い行列ができていた。

その中にある蔦屋書店でYさんの写真集を二冊購入した。日本よりも欧米で高く評価されている方で最近は蔦屋書店が後ろ盾になっているのかもしれない。

そういった事実を抜きにして彼の写真はオリジナリティに満ちて文句無く素晴らしい。

Fさんの写真集が十冊以上買える値段だった。

 

二人の写真家とも、日本よりも欧米の方を見ている。しかし、評価の違いは大きい。

その違いはどこにあるのだろう。

技法の違いかも知れないが、より根本的には伝統的な日本に立脚しているかどうかにあるように思う。

素人の私にはそこまでしか分からない。

ホテルでFさんの写真集を見ながら応援したくなった。

 

Fさんに初対面なのに顔を見て私と分かり名前が淀みなく出た理由を尋ねたら、Facebookで時々良い写真をアップしているからだと言われた。

汗顔の極みだったが帰路は有頂天になっていた。

 

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 ジャスミン  於 富ヶ谷