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自然なこころで生きる

たわいのない話

手を振る

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雨の神楽坂を出る。 

三田のフレンチの店で昼食。

この店のオーナーシェフのSさんは何年も息子を励まして下さった。

彼はその言葉を糧として数年間過ごした。

 

仕事に厳しく、温かくて優しい心の人が作る料理は気を衒ったところがない。

慈しむように穏やかに素材を活かしている。

それはブレス産の鳩の火入れ、黒トリュフの卵とじなどすべての料理に表れている。

食事を終えシェフと少し話をして店を出た。

しばらく歩いて振り向くと店の外で手を振っている。

ずっと手を振っていたのだろう。

 

ダイヤモンドはダイヤモンドによってしか磨かれない。

同じように、人は人によってしか磨かれない。

 

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朝、親友からメッセージがあった。 

長い間苦労したのだから旅を楽しむようにと。

苦労したのは俺だけじゃない、お前もそうじゃないか。

大学院を首席で卒業した者が読書を禁じられ孤独な修行時代を過ごした。尊厳を傷つけられながら自らの工房を作るため僕となって働いた。

きっとSさんのようにもがき苦しむ若者に頑張れと手を振って励ますのだろう。

 

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雨が止んだ。

 

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ようやく青空になった。

旅の続きにふさわしい空だ。 

残り僅かな旅を楽しもう。

 

 

 

 

 

時間が作り上げる

夕方の上野公園

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未だ一分咲きの桜がほとんど。

この木は満開。

海外から来られた方が写真撮影をしている。

 

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光量が少ないが、何とか1枚。

翌日は雨との予想だったので、2日分の予定をこなすためこの日は随分歩いた。

 

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いつも訪ねる店で和菓子を肴に日本酒。

一つの机に四人が腰掛ける。

最初は沈黙。

薄い緊張が漂う。

話のきっかけを掴もうとアンテナを立て電波を発する。

やがてお酒と和菓子が出てくるとお味はいかがと尋ねる。

ゆるりと会話の歯車が動き始める。

穏やかな会話が始まる。

静かな時間が流れる。

今日は次の予定があるため早目にお暇する。

常連の方に次に来る日にちをお伝えする。

予定を合わせて下さるようだ。

店の外まで出て店主とともに見送って下さった。

では、その日にお会いしましょう。 

 

歩いて上野公園に行きたかったが時間がない。

仕方なくタクシーを拾う。

上野の国立博物館で年二回開放される庭園を散策する。

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茶室が点在している。

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明日は三田。

心が通う人とお会いすることが旅の楽しみ。

時間が作り上げた顔を見ながら互いに生きた時間を慈しむ。

 

 

 

 

 

 

初めての握手・最後の挨拶

私に洗礼を授けてくれたT神父は天草の出身だった。

生家は先祖代々からカトリック信者である。

素朴で確かな信仰を持っていた。

洗練とは程遠い田舎の司祭で、私とは年齢的には父と子の関係だった。

それだけでなく本当の父のように気遣ってくれていた。

 

T神父さんは私が受洗して何年か後に郊外の信者数が少ない教会に転出された。

寂しがり屋の神父さんを慰めようと同年代の8人で神父さんと鍋を囲む会を始めた。

鍋、カセットコンロ、器は全て神父さんが準備した。

鍋会の時は神父さんが準備したワインがいつも食卓に置かれていた。

ワインは神父さんが他の神父や修道院からもらったフランス、イタリヤ、スペインのもので美味しかった。

会費制だったが、材料費の大部分は神父さんが支払った。

仲間の一人がこれでは慰問ではなくタカリだと言っていた。その通りだった。

いつものように司祭館で鍋の準備をしていると楽しみにしているワインが見当たらない。

私が「今日はワインがないのか」というと仲間の一人から「神父様に失礼よ。」とたしなめられた。

それを耳にした神父さんは「息子が親の家に来て甘えるのは当たり前、何が悪いことがあろうか」とおっしゃった。

奥の部屋からワインを見つけて「あった、あった。あなたの好きなワインだ、飲みなさい」とワインのボトルを手渡してくださった。

 

私の席はいつも神父さんの正面だった。

ある時、鍋を囲んでいると唐突に私に向かって「あなたが教会から離れたら、私はどこまでも追いかけてあなたを教会に連れ戻しますよ」とおっしゃった。

なぜ私だけにそのようなことをおっしゃるのか分からなかった。

 

 

 

その後T神父さんは病気になり療養のため元の教会に戻ってこられた。癌だった。

当時の主任司祭のご配慮でT神父さんは主任司祭室で過ごしていた。

無愛想で挨拶は下手、人見知り。

頑固で無骨、しかし、優しい神父さんは人気があった。

多くの信者がご機嫌伺いに部屋を訪ねていた。私もそうだった。

帰ろうとして椅子から腰を浮かそうとすると神父さんは必ず新たな話題を持ち出した。

「そういえば・・。」

30分してお暇しようと腰を浮かそうとすると「そういえば・・・」

また30分。その繰り返しだった。

最後は自分の夕食であるお寿司のパックを差し出して「私は食べれないので代わりに食べてください。」

それでまた30分。

帰宅が遅くなり家から電話があると慌てて「早く帰りなさい」とおっしゃってようやく解放された。

これは神父さんを訪ねた人がみんな経験した。

 

ある社会福祉施設の再建を私を含め三人で行った。

三年かかって経営再建が軌道に乗り私はそこから離れた。

その間もその後も様々なことがあった。

膨大な時間と労力を使いながらほんのわずかなガソリン代だけが支払われたことに憤懣遣る方無かった。

ここには正義はない。あるのは偽善、見せかけの信仰心だけかもしれない。

「イエス様あなたはなぜこのようなことをお許しになるのですか。」

いつもイエスに問うていた。神の存在を否定するまであと一歩だった。

 

事の成り行きは最初から逐次T神父さんに報告していた。

最終報告のために訪れると神父さんは私の知らない私を巡る動きをご存知だった。

海外にいるある方が詳細かつ全体を俯瞰した情報を持っていた。

情報は国際電話で神父さんに伝えられていた。

報告を終えると神父さんは「ご苦労様でした。あなたは司教から火あぶりの刑に処せられたジャンヌ・ダルクのようでしたね。あなたはユダヤ人の高位聖職者から磔刑に処せられたイエス様と同じでした。」とおっしゃってくださった。

T神父さんの素朴で何者にも動じない信仰心はイエス・キリストを絶対的な存在としていた。それゆえ普通の人をイエスになぞらえることは絶対にしなかった。

にもかかわらず自分の信念に反する言葉を私にかけてくださった。

何の疑いもなく神を信じ、イエス様の前では子供のように純朴な信仰心に知性のなさを感じ反発したこともあった。

しかし、T神父さんの言葉でそれまでの怒りや不信が消え、澄み切った青空のような心になった。

 

それから神父さんはたびたび入退院を繰り返された。その度ごとに痩せていった。

最後に入院されたのは初冬だった。

年末に最後のお見舞いに伺った。

病室には神父さんしかいなかった。

頑張るよう励まそうとしても虚しい言葉にしかならないので仕事の話を少しした。

5時になろうとした時、神父さんが「お家の人が心配するといけないからもう帰りなさい」とおっしゃった。

初めて引き止められなかった。

そして、布団から右手を出して私の手を握った。私に洗礼を授けた手だった。

私も初めて神父さんの手を握った。柔らかな手だった。

私の目を見つめ「さようなら。」とおっしゃった。

「さようなら。」と応えた。

 

年が明けて間なく神父さんは帰天された。

 

 

 

 

 

 

ロシア語は読めない

ウクライナ人のSNS友達のTさんはいつも私にロシア語でメッセージをくれる。

ロシア語文化圏なので仕方ないと思わないではない。

しかし、他の国に人には、例えばイタリア人にはイタリア語で、ドイツ人にはドイツ語で対応している。

私も日本語で返信したが、それでも相変わらずロシア語。

久しぶりにメッセージが来た。花の写真が添付されていた。

まだロシア語、またロシア語。

そもそもキリル文字は読めない、書けない。

それで今日もエキサイト翻訳にお願いする。

いまいち意味不明。

エキサイト翻訳を元に思い切り勝手に意訳する。

こんにちはお元気?、白い花の写真を送ります。春の訪れを一緒に感じましょう。

 

そういえば母国語でメッセージをくれるのはこの人くらいだ。

クロアチアの人、ジョージアの人、ドイツの人、タイの人も日本語だ。

そうでない場合は、英語。

Tさん機械翻訳でいいから日本語あるいは英語にしてくれと切に願う。

 

返信はエキサイト翻訳先生にお願いしてロシア語にした。原因は多分これだ。

 

 

 

 

静かな時間が流れる。

最後に映画館に行ったのはいつだったのだろう。

そもそも映画に限らず、古典芸能を含め演劇というのを見ることはほとんどない。

唯一の例外は能である。

能は舞台上で華々しいストーリーの展開がないのが好ましい。

役者が何を言っているのか分からないことが多いが、予習すれば何とかなる。

トーリーも能自体が心の中を舞台で表現していると思えば合理主義から解き放たれて楽しむことができる。

(いわゆる二重夢幻は表層心理と深層心理のことを言っているのではないかと思う。)

もう一つは安心して眠れること。いつ見てもシテ方は舞台の中央に位置しワキ方は登場して座ったきり置物のように動かない。

眠っていても場面展開があまりないので見逃した感がない。

それに大事な場面では笛が高く鳴り起こしてくれる。

そして総じて言えるのは静かなこと。始めも終わりも拍手がない。

静かな時間が流れている。

 

映画を見ない私が見た数少ない映画の中で印象深く覚えているのが「かもめ食堂」という映画だ。

もう随分昔に見たのでストーリーを覚えていないこともあるが、この映画は劇的なところがなく淡々しているのを好ましく感じた。

強い印象がないのが印象的だった。

舞台が北欧というのも良かった。

静かな時間が流れていたように記憶している。

 

先日、ある方のブログでこの映画が紹介されていた。

 

raintree0106.hatenablog.com

 

自分が好きな映画それもほとんど映画を見ない私が見た数少ない映画が紹介されているのでとても嬉しくなった。

この映画についてはアリさんの記事を参照するのが良いと思う。

アリさん、勝手に引用しましたことお許し下さい。

 

 

撮影後の楽しみ

写真撮影の楽しみは撮影後にもある。

SNSの写真グループに写真をアップする。

国内と国外二つのグループに属しているが、最近はもっぱら国外のグループにアップしている。

国内のグループはほのぼのとして楽しいが、みんな似たような写真ばかりだったり、最近は技術の妙を競ったりしているような方が加わったりで辟易することもある。

国外のグループにアップすると大袈裟に言えば世界各地の仲間から反応があるのが楽しみだ。

 

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これは昨夜アップした写真。

本当は遠景にある阿蘇内牧の田圃が緑色だと手前の野焼きした牧場の黒、真ん中の黄色の三色のコントラストが効いて良かったがそれは叶わぬ夢なのでこれでも良しとした。

この写真なぞはほとんどの方からは何を表現したいのと言われると思うが、国外のグループからは割と反応が良かった。

 

 じっくり構えて諸々の調整をして撮影するタイプではないし、撮影の知識や技術は最小限しか持ち合わせてない。

少しでも写真撮影した経験のある方から見ればいつまで経っても初心者と評されると自覚しているが、自分が撮った写真を世界のどこかで同じ様に感じてくださる方がいらっしゃればそれで満足・・するしかないわなと思う。

 

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 最近は人物を撮影してみたいと思うようになった。

ポートレートというジャンルだ。

しかし、被写体となってくれた方に失礼のない写真が撮れるのか私の技術と知識では大いに疑問があり躊躇している。

 

 

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大観峰

 阿蘇外輪山の大観峰から

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 pm2.5の影響か靄がかかっていた。

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 ダイナミックな景色。

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 撮影するのは早朝か夕方、または夜間が適切かと思った。