自然なこころで生きる

たわいのない話

東京旅行三日目

朝の丸の内と皇居

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朝食はなだ万の和朝食、加えて鰊のマスタードマリネ。私はこの鰊が好物なのだが妻には不思議らしい。食後はマンゴー、パイナップル、ブルーベリーに牛乳。

彼女はエッグロワイヤル、イチゴとリコッタチーズのパンケーキ、なぜかごぼうと瓢箪の酢漬けと何とかのスムージー

連休明けということもありクラブラウンジに人は少なかった。

部屋で一休みして正午から茗荷谷に向かう。

お昼はおこわと葛切りを妻と分け合って食べ、上京の度に寄る和菓子屋で和菓子を買った。今年は二月と五月に訪れた際に少し話をしたせいか私たちを覚えていた。

丸の内の丸善に寄ってホテルに戻った。

昨日と同じようにラウンジでアフタヌーンティーセットを食べて部屋で夕方まで一眠りした。

目覚めた後ラウンジでシャンパンを飲み軽い食事を取った。

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今回の滞在で残念だったのはこれまで毎回お世話してもらっていた方にお会い出来なかったことだ。

愛知県出身の彼女は笑顔がとても素敵だった。

あれこれ私たちのことを気遣ってくれた。

お会いする度に親しみのある笑顔を向けてくれ、仕事とはいえ嫌な顔もせず私のくだらない冗談を聞いてくれた。

そういえば、茗荷谷の和菓子屋の話をしたら次に宿泊した時に、「蕨餅を買いに行きました、美味しかったです」と話していた。

彼女と接しているとホテル業とは正に接客業だと思う。人と接することを生業として成り立っている。

どんなにハード面が優れていてもスタッフの力がなければ立ち行かなくなる。

ホスピタリティという言葉ではすくい取れない微かな人格的な触れ合いにこそ接客の妙があるように思える。

心の触れ合いがあればまた泊まりたいと思うのが人情ではないだろうか。

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色んな人と濃淡はあれど触れ合いながら通り過ぎ、やがて時間の闇の中に私たちは消えて行く。

全ては立ち止まることなく、やがて消えて行く。

窓の外に目をやると月が出ていた。

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クロエとソフィが待っている私たちの家に帰ろう。

東京旅行二日目

朝食は三越で買った小さなパンを一つと鈴懸のわらび餅を食べた。

11時にチェックアウトし、東京駅に隣接するホテルに荷物を預けて、歩いて雨の中を三越日本橋店に行く。

三越の特別食堂日本橋で、生魚を食べれない妻は寿司をお好みで穴子と白いかを二貫、蒸し鮑、ホタテ、カッパ巻をそれぞれ一貫、私は鰻重にコハダと中トロを一貫、干瓢巻きを追加した。

この特別食堂は貧しい田舎者の私たちにはあまりに敷居が高くてこれまで一度も入れなかったが、物は試しと今回は意を決して入店した。

お客さんは年配者が多く、私たちですら妻曰くひよっこだった。皆さんお金持ちで上品な方ばかりなのでスマホで料理の写真を撮る人は皆無だったこともあり私も写真を撮らなかった。

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3時にホテルのクラブラウンジでチェックイン手続きを済ませ、そのままアフタヌーンティーセットのスコーン、マドレーヌ、カニのサンドウィッチとタマゴサンドを食べた。飲み物はいつもお願いするメロンジュース。

お腹いっぱいになったのでケーキ等は食べなかった。

ありがたいことに部屋はインペリアルガーデンビューの部屋にアップグレードしてもらっていた。

といってもいつもの慣れ親しんだ造りの部屋で落ち着く。

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部屋に入ると直ぐに入浴、夕方のイブニングカクテルタイムまで一寝入りすることにした。

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シャンパンで乾杯し、肉料理と蟹のカクテル、エンドウ豆のスープ、サーモンの手毬寿司などを食べたが昼間に食べ過ぎたためか少ない量しか食べれなかった。

カクテルをお代わりしてラウンジを後にした。

この時間は妻と主に二つを話題にした。

一つは、明治初期に日本を訪れたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」。

日本の里は城壁を持たないことで自然との一体感を生んだとの説を聞いてそのことについて話し合った。
また植物に知性はあるかについても興味深い話を聞いて話し合った。

そうこうするうちに夜の帳が下りていた。

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ホテル内のフィットネスクラブのジャグジーとサウナに入ってさっぱりとした後に就寝した。

 

東京旅行初日

連休の最終日に東京に向かった。

初日の昼は新宿伊勢丹にある天一のカウンターで天ぷらを食べた。

三越伊勢丹系のデパートに行くときは最近は大体こうしている。

コースの他にウニ、シャコ、タラバガニ、メゴチなど追加した。アルコールはワインと日本酒。

昨日までの貧しい食事から一転した内容と出費になった。

地下にある福岡が本店の鈴懸でわらび餅と豆大福を買ってホテルのある銀座に向かった。

夕食は食べれないか食べても少量しか無理なので三越でお稲荷を五つ買ってホテルにチェックインしたのが五時。

すぐに風呂に入って、ベッドに横になると九時まで寝ていた。それから夕食のお稲荷さんと和菓子を食べた。

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(我が家の一坪ほどの畑で五月末に初めて採れたピーマン、決してシシトウではないことにご注意を)

今週の夕食時に妻は佐伯祐三と妻米子、彼らの周りの強欲な人間のことを話してくれた。

当初の話題は佐伯のほとんどの作品に米子の手が加えられていることだったが、やがて米子の人間性に移り、最後は古陶磁の贋作作りにいかに多くの古美術商、高名な評論家、美術館、旧陸軍の特務機関が関与していたかになった。

それらに比べれば米子の醜悪さなど児戯に見える。

10年ほど前に陶磁器に興味を持っていたが、有力な美術商と彼らがバックについた陶芸家たちと接するうちに、無論こちらに全く財力がないこともあろうが、彼らの中に入るのを拒まれている感覚、その大元にあるように微かに感じた得体の知れない胡散臭さの正体が分かったような気がした。

謂わば、金の亡者たちの大掛かりなねつ造の仕掛け。

これはその世界では今も続いているのだろう。

そういう世界とは全く無関係に生きて、妻と心の投影のようなたわいもなく、しかし、二人に交響し合う話をしながら街を歩くことは個別の話題は変われども学生の頃と変わっていない。

そんなことを考えているとフィリップ・グラスが演奏する彼のピアノ曲が浮かんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=8Q0G0-9E5SE&feature=share

小さな虫のような存在の私たち夫婦は彼の曲のように変わらないながらゆっくりと年老いて、やがて消えてゆくのだろう。

ソフィの冒険

ドアの金属製の桟を引っ掻く音が聞こえたので目をやると。

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ドアの上に乗っている。
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あまりに狭いので何処かに飛び移ろうと探している。
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おそらくカーテンレールの上に飛び移りたいようだが難しそう。

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もう一度適当な所がないか探す。
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アッ足を踏み外した。

必死でもがいた。
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何とか再びドアの上に乗る。
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床まで飛び降りようとするも、逡巡する。

ようやく意を決して飛び降りた。

着地の瞬間の写真は撮れず。

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撮れたのはこんな汚い爺さんの足であります。

お許しください。

 

ヘソ天

台所のテーブルで書類を読んでいると

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気持ち良さそうにソフィがお腹を出して昼寝をしている。

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夜も同じ格好で気持ち良さそうに寝ていた。

(足元にあるのはネコジャラシのエビ天)

ヘソ天

ちなみに私はソフィのことをソフィ吉君(ソフィきちくん)と呼び、妻はソフィ子と呼ぶことが多い。

クロエは二人ともそのままクロエだが、たまにクロエチャンチャコリンと呼ぶことがある。

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Fさんから久しぶりに電話があった。

長く続く苦しみを笑い話にしていた。

これまでだったらずっと話を聞いていたのだが早めに電話を切った。

彼と交流が再開したのは昨年の夏だった。

見覚えのない携帯電話から何度か着信があった。

電話に出ると懐かしい声がした。

何年ぶりだっただろうか。

直ぐに会い、これまでのことを聞いた。

私たちは旧司法試験の受験仲間だった。

大阪から戻り受験勉強を始め、しばらくして彼のゼミに入れてもらった。

学年は三つ上だったが気が合ったので二人で勉強した。午後になると彼から疑問点について質問されることが多かった。

彼は合格し弁護士になり、私は司法試験の受験を辞めた。

ゼミ仲間からは、多くの人は合格できるかどうかが問題だがあなたはいつ合格するかだけが問題なのにもったいないと言われた。

同じように会社勤めを辞め受験していた大学からの友人H君は大学の先輩たちからどうして私は弁護士にならないのかと尋ねられてたらしい。

辞めたきっかけの一つはH君との会話にあった。

彼は5月の短答式試験に合格しなかった。

彼の勉強ぶりを聞くと法律家になりたいという意欲が窺えなかった。

そこで「君は弁護士になりたくないのではないか?」と指摘した。

その時、嫌な感じがした。その言葉は自分自身に向けられた気がしたからだ。否定しようとするが否定しきれない本心、自分自身を騙していると認めるのを頑なに拒もうとしていた。

本当は争いごとが嫌いだった。

何よりも金儲けに興味がなかった。と言うより、金より心の問題が大切だと考えていた。弁護士になり争いの根本にある心の問題、その解決に助力したいと考えていた。

これは弁護士に要求されることではなかった。お門違い。

司法試験の受験を辞め若者に法律を教えること、彼らの悩みを聴くことを生業にした。

幸い教えることは会社時代から割と評判が良かったしタイミング良く東京のある学校から誘いを受けた。また、かつて悩みを聴いた方からは臨床心理士の資格を取ることを勧められていた。

ありがたいことにこちらの学校で教えることになり、多くの学生が私の評判を聞いて入学したそうだ。そして念願通り若者の悩みを聴くようになった。また、伝手を頼って来た人にカウンセリングをした。

それらの人の中には2年、3年とかかる人も少なからずいた。

共通していたのは発達障害、なかにはごく少数だが軽度の精神障害がみられた。

また友人、知人にも発達障害のある者が多かった。

周囲の人間にこれほど発達障害のある人が多いのは何故なのか分からなかった。

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2016年に母が死んで、母の言動などを振り返るうちに私の苦しみの根源は母の発達障害に起因することに思い至った。

生前に私は母をついぞ理解することができなかった。

しかし、理解しようと無意味な努力をしていた。

今思えばその努力の一つが発達障害のある人たちと接することだった。

彼らを理解しようとし、彼らを苦しみから救おうとしていた。

母が死んで約2年して振り返りを終えると私の周りから発達障害のある人たちが消えていった。

正確に言えば関わりを持つことができなくなった。

彼らの話を傾聴することができなくなった。

私が若者の悩みを聴き、カウンセリングをしていたのは母を理解しようとし、私自身を苦しみから救おうとしていたのだろう。

彼らは私の心の投影だったのだ。

今はその必要がなくなった。

私はFさんの長く続く悩みを聴くことができなくなっていた。

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書棚からこんにちは

目覚めて寝室のドアを開けると忠犬クロエが待機していた。(クロエの写真は撮らず)

書斎に入ると書棚にソフィが待機していた。

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オッ、可愛い顔!

スマホのレンズを向けると即座に動き出す。

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ようやく、撮れたのがこれらの写真。

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ペットシッターさんが最近お世話をしているなかにゴールデンレトリバーのオスがいるそう。

出来たら、その子とクロエで子供を作れたらと思う。

しかし、私たちでは仔犬の世話ができそうにない。

そう伝えたら、シッターさんから私がお世話をしますとの有難い言葉を頂いた。

それにつけても、避妊手術をしたソフィの子供を見ることができないのが辛く残念であります。